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久しぶりの今昔物語だ〜



おぎ厳選!平茸にまつわるお話を紹介



おぎちゃん渾身の『現代語訳』全文掲載します!



おぎ流・現代語訳お楽しみください


今は昔、信濃守藤原陳忠という人がいた。任国に下って国を治め、任期満了で都へ帰る道中のこと。御坂(長野県と岐阜県の県境)を超えようとしていた。信濃国で貯めに貯めたお宝を山程、馬に乗せて、人もたくさんついてその山道を進んだのだ。
足場が悪かったので、板などを渡して何とかわたっていたところ、なんと信濃守の乗った馬が私板を踏み抜いてしまい、守ごと真っ逆さまに谷底に落ちてしまった。
険しい山道。覗き込んでみると30メートルほど下にヒノキや杉が鬱蒼と茂り、その谷の深さはわからないほどだ。こんなところに落ちてしまっては、信濃守も生きてはおられないのではないか。一行の従者たちは馬から降りて代わる代わる谷底を覗き込むが、守を助ける方法など思いつかなかった。
「もういまさらしょうがない。どこかに下まで行けるところはないだろうか」
「せめて陳忠様のご様子なりとも拝見しよう」
「もう少し先に行けば行きやすい道があるかもしれない」
「このままここにいたとて、下に降りることもできなのだから、どうしようもない」
など、口々にさわぐ。信濃守があのように真っ逆さまに落ちてゆくのを見ているのに、どうして差し上げることもできない悔しさが滲んでいた。
ふと、はるか遠い谷底から叫ぶ声が細く聞こえてくる。
「忠信様はご無事なのだ!」
「おーい!おーい!」
と騒ぎ立てるので、肝心の信濃守の声が聞こえない。
「ちょっと!うるさいぞ!忠信様がなにか仰っているんだ!ちゃんと聞け!」
「ん?『かごに縄を長くつけて降ろせ』って仰ってる・・・?」
「やはり生きていらっしゃるんだ!」
「なにかに捕まっておられるのかも」
従者たちは大急ぎで大きなかごに馬の手綱をつなげて結んで、するすると谷に沿って降ろした。縄が足りなくなるほど降ろしてみたら、どうも谷底までかごが降りたようだ。
「さあ、引き上げろ!今だ!」
という声が聞こえたので、
「引けとおっしゃっているぞ!それ!」
と力を合わせて引き上げた。しかしなにかおかしい。とても軽いのだ。
「このかご、やけに軽いな」
「陳忠様が載っておられるならもっと重いのでは?」
「木の枝などで支えながら乗っていらっしゃるから軽いのでは?」
などと口々に言いつつ、かごを引き上げてみると、なんとこそにはカゴいっぱいの平茸が積んであった。
従者たちはわけがわからない。互いに顔を見合わせて、
「これはなんだ?」
「どういうこと?」
と言い合っている内に
「もう一度かごを降ろせー!」
と叫ぶのが聞こえる。
「じゃあもう一度」
と再びかごを降ろしてみた。そしてまた
「もう一度引き上げろ!」
という声が聞こえたので、また綱を引いたらば、今度は重い。さっきよりも大人数でようやく綱を手繰り寄せてみたところ、今度はちゃんと信濃守が旅籠に乗っていらっしゃった。見ると、信濃守は片手に縄を、そしてもう片手には平茸を持っていらっしゃる。それも3房も。
何はともあれ、信濃守はこうして生還した。従者たちは喜びあった。
「陳忠様、そもそもこの平茸はなんですか?」
「これか、生えておったんだ」
「生えていたというと?」
「私が落ちた時、馬は先に真っ逆さまに谷底に落ちていったんだが、私は木の枝に引っかかり、その幹に掴まって九死に一生を得たんだ。その木をよく見てみると、平茸がたくさん生えておったんだよ。このまま捨て置くのも惜しくて、かごが降りてくるのを待つ間、もったいなくて手が届く限りの平茸を全部むしったんだ。まだたくさん残ってたなー。もったいないことをした。めちゃくちゃ損した気分だ」
従者たちが必死で救出作戦をしているときに、なんとも呑気なものである。思わず
「それは確かにもったいないことですね」
「損しちゃいましたね」
と集まった従者たちは笑いあった。
「あのな、笑い事じゃないんだ。宝の山に行って、素手で変えるようなもんだぞ?『転んでもただでは起きるな』というであろう」
と信濃守。そこへ、年長の代官がやってきた。周囲をさんざん心配させたくせにと腹立たしい気持ちもあったが、
「確かにそのとおりでございます。手が届くところにあるお宝をどうして取ってこずにいられましょうか。本来、賢い方というのは、このような生死を分けるようなときでも冷静にことを観察して、通常時のように振る舞うものです。陳忠様、よく慌てずに平茸をこんなに取ってこられましたね。その賢さで信濃国をよく治め、年貢もちゃんと徴収し、念願かなって京都にお帰りになる。信濃国の者は皆、陳忠様のことを親のように大切に思っております。きっとこれからも末永くお栄えになることでしょう」
と恭しく頭を下げてみせた。その言葉を聞いて満足気にしている陳忠を見て、この代官を始め、都の事をよく知る者たちだけは冷笑するのであった。
谷底に滑落するようなことがあっても、焦らずに、まずはお宝である平茸をむしるというのは少し不気味なものがある。きっと任国でも強欲に私欲を肥やしたに違いない。
これを聞いた都の殿上人は「受領とは、かくも強欲で下品なものよ」と笑いものにしたということだ。



部下いい人たちだね



慕われてた感じするよね


今は昔、入道殿を左大臣とお呼びして、琵琶殿にお住まいだったときのこと。
琵琶殿の不断の読経を勤める僧がいた。名を某の僧といって、或る寺の僧だった。彼は琵琶殿の南にあるアパートに住んでいた。
秋頃、下仕えの童が小一条の神社にある藤の木に平茸がたくさん生えているのを見つけた。師匠である某の僧のために取ってきて
「このようなものを見つけました」
と言ったところ、某の僧が
「とてもいいものを持ってきたじゃないか!」
と大喜び。すぐにキノコ汁にして、弟子の僧と童と3人で食べた。
その後、しばらくして3人とも急に頭を反らせて苦しがる。ゲーゲーと吐き、苦しそうに転げ回って、とうとう某の僧と童は死んでしまった。弟子の僧は死にそうにはなったが、症状が落ち着いて一命を取り留めた。
すると、事の次第を入道殿がお聞きになった。某の僧のことを大層哀れに思い、お嘆きになった。貧しかったであろうからと何か出来ることはないかとお考えになり、葬式代として絹や布、米などをたくさん与えなさった。このおかげでよそへ行っていた某の僧の弟子や童たちが大勢やって来て、霊柩車に乗せて弔うことが出来た。
その様子を見ていた僧がいる。東大寺の僧で東という。同じく不断の読経の仕事をしてはいるが、入道殿のおられる琵琶殿にほど近い僧房に他の僧たちと一緒に住んでいた。
その僧房に住んでいる別の僧の下仕えの法師を呼び出し、何かを囁いて遣いにやった。
「何か用事があったから私の下仕えの法師を遣いに出したんだろうけど何だろう?」
とこの僧が見ていると、下仕えの法師が帰ってきた。着物の袖に何かを隠しているようだ。見ると、平茸を袖いっぱいに入れて持ってきたようだ。
「これは何に使う平茸だ?この前あんなことがあったばかりなのに、なんでこんなことを。この平茸を何に使うんだ?」
とその平茸を見て嫌な予感がした。
しばらくしたら東の僧が平茸を焼いて持ってきた。すると、飯のおかずにするでもなく、ただその平茸だけをむしゃむしゃと食べてしまった。
他の僧たちがこれを見て
「お前は何で急に平茸なんか食べてるんだ」
と尋ねたところ、東の僧は言う。
「これは某の僧が食べて命を落とした平茸だ。わざわざ取ってこさせて食べているんだ」
「なんでこんなことを?頭でもおかしくなったか?」
「欲しいからだよ」
と東の僧は答えてただ無心で平茸を食べる。他の僧たちももはや止めることが出来ずにただ見ているしかなかった。
急いで琵琶殿へお伺いして事の次第を左大臣様にお知らせしたところ、左大臣様はこれを聞いて
「なにそれ?なんで?」
と不思議がっておられた。
そうこうしているうちに不断の読経のシフトが回ってきたので、東の僧が琵琶殿へやって来た。左大臣様が
「何を考えてこんな平茸を食べたんだ?」
とお尋ねになったところ、東の僧はこう答えた。
「某の僧が葬式代をいただいたおかげで、死恥をさらさずに済んだのが羨ましいのです。もし私が今死んだらきっと都の大通りに打ち捨てられてしまうことでしょう。だったら、私も平茸を食べて死んでしまえば、某の僧のように葬儀代を左大臣様からいただけることだろうと思って、平茸を食べたのでございます。でもまあこのとおり、死なずに生きておりますが」
それを聞いた左大臣様は
「頭おかしいぞ、この坊さんは」
とおっしゃってお笑いになったそうだ。
なんとまあ、猛毒のキノコを食べても中毒症状が出ないケースもあるようで、東の僧は人を驚かそうとしてこのように言ったようだ。この事件があった当時、世の中では笑いのネタになったそうだ。
そして、同じキノコを食べても中毒症状を起こして即死する人もいれば、しない人もいる。おそらく、中毒にならない調理法や食べ方があるのではないかと語り伝えられているということだ。



これは平茸モドキの毒キノコだったってこと??



真相は藪の中・・・











